宮島細工
宮島細工の起源は、鎌倉時代、嚴島神社の再建に携わった宮大工の技術に由来する。嘉永年(1848~1854)にもたらされたロクロ技術、彫刻技術によって、その技は芸術の域まで高められた。宮島細工の最大の特長は木目の美しさにあり、ロクロを使う丸盆などの挽き物、木地を削り出す角盆などの繰り物、そして手彫りで嚴島神社など描き出す宮島彫りなどがある。
宮島細工の起源は、鎌倉時代、嚴島神社の再建に携わった宮大工の技術に由来する。嘉永年(1848~1854)にもたらされたロクロ技術、彫刻技術によって、その技は芸術の域まで高められた。宮島細工の最大の特長は木目の美しさにあり、ロクロを使う丸盆などの挽き物、木地を削り出す角盆などの繰り物、そして手彫りで嚴島神社など描き出す宮島彫りなどがある。
寛政のころ(1789~1800年)、宮島の光明院の修行僧・誓真が考案し、島民たちに製作方法を教えた飯杓子が、宮島杓子として広まったものと伝えられている。宮島杓子はご飯の付け盛りの役割から宮島の歴史や日本の食文化を伝えるアイテムとして魅力的に進化した。
奉納された鈴の複製を参拝者に分けたのが起源とされる土鈴。宮島の「鹿猿」のモチーフは、明治中期から現代までの約120年間、宮島島内で職人たちにより郷土玩具、土焼・木彫・張り子など様々な「鹿猿」となり受け継がれてきた。宮島土鈴は、伝統の「鹿猿」に宮島の花をデザインし、縁起物である現代のお守りとして作り続けられている。